0.導入
新規事業がシード期を乗り越え、さらなる成長を目指すのは容易なことではありません。事業を立ち上げた後、どのようにかじ取りすれば、順調に事業をスケールさせられるのでしょうか。社内起業家をゲストに招き、ケーススタディ形式でその道筋を明らかにしていくセミナーシリーズ【どう進めてる? SEED期以降の事業開発】。第四弾は、小田急電鉄株式会社発の新規事業「ハンターバンク」をご紹介します。狩猟に興味を持つ人と獣害に悩む農家、双方のニーズを結びつけた独創的なサービスはどのように成長を遂げたのか。同社でハンターバンクを立ち上げた、デジタル事業創造部統括リーダーの有田一貴氏に伺いました。
1.高齢化が進むハンター界に若手の参入を促す革新的なサービス
日本国内における獣害問題は拡大の一途をたどっています。獣害とは、イノシシやシカ、熊などの野生鳥獣により畑が荒らされたり、人が襲われたりする被害のこと。この30年ほどで約10倍に増えた野生鳥獣もあり、獣害による農業被害の総額は約160億円ともいわれています。農業被害、森林被害、交通被害、そして人的被害は深刻化する一方です。
そこで小田急電鉄は獣害対策の切り札として「ハンターバンク」という新規事業をローンチしました。その立ち上げの経緯について、有田氏は次のように説明します。
「野生鳥獣を駆除捕獲するうえで課題となっているのが、ハンターの高齢化です。全国で20万人ほどいるハンターの6割が60歳を過ぎており、このままでは近い将来、もっとハンターが減ってしまうことは目に見えています。より多くの人が狩猟に参加する仕組みをつくることが必要なのではないか。それが、ハンターバンクの発想のスタートでした」(有田氏)
その一方で近年、若年層の間では狩猟への関心が高まっているそうです。背景には、狩猟を題材としたマンガの流行や、アウトドア、ジビエ人気の拡大などがあり、狩猟免許の取得者も年間7〜8%のペースで着実に増えているのだといいます。しかし、狩猟免許を持つ人が増えても獣害は減らないと有田氏は指摘します。
「ここにはペーパーハンターと呼ばれる、『免許を持っているけれど、狩猟はしない人たち』の存在があります。彼らは、狩猟する場所が見つからない、仕事との両立が困難、初期投資が高い、技術を教えてくれる人と巡り合えないなどの理由によって狩猟から遠ざかっており、その数は免許取得者全体の約30%に上るといわれています。このペーパーハンターの課題と獣害問題を一度に解決するのが、私たちの提供するハンターバンクのサービスです」
「ハンターバンク」では、狩猟に興味はあるけれどなかなか始められない個人の会員と、獣害にあっている地域の農林業者をマッチングしています。月額8,000円のサブスクリプション型で、農林業者とのマッチングに加えて、猟に必要な道具類のレンタル・保険の提供、スマートフォンを用いた「わな」のデジタル管理、そして専門スタッフによる狩猟技術のレクチャーも受けられます(レクチャー期間は15,000円)。狩猟免許がなくても参加できるため個人ユーザーは「週末狩猟」が叶い、農林業者は野生鳥獣を駆除できるという仕組みになっています。
「鳥獣を捕獲した後は、肉をハンターと山分けして解体体験やジビエBBQなどを行うことで大事な命を無駄にせずおいしくいただくところまでサポートします。地域課題の解決と小田急電鉄の収益、そして生態系の循環をすべてサービスに組み込んでいくこと。これが、ハンターバンクという事業の全体像です」(有田氏)
2.ビジョンへの共感を優先することがチームビルディングのポイント
続いて、AlphaDrive執行役員の加藤隼が、有田氏にシード期以降の事業開発について深掘りしていきます。
加藤:鉄道会社が狩猟事業を手がけること自体が大変興味深い試みです。事業化の意思決定にあたって、どのような戦略合理性を見出したのでしょうか。
有田:実は、鉄道会社が地域課題の解決に取り組むのは今に始まったことではありません。古くは阪急電鉄が沿線開発のために宝塚歌劇や阪急百貨店を創設したように、100年も前から続いてきた業界全体のカルチャーです。また、鉄道会社は野生鳥獣によって交通被害を受けるなど、獣害を被っている当事者でもあるため、違和感はありませんでした。加えて、市町村など行政と連携するのは鉄道会社の得意分野ですから、私たちの強みが生かせるという意味で、勝ち筋は見えていました。
加藤:現在の、「ハンターバンク」事業の組織体制についてお聞かせいただけますか。
有田:サービス運営担当者が3名、広報・PR担当が2名、そしてシステム開発担当2名の、計7名で進めています。特徴的なのは、小田急電鉄の社員は2名しかいない点です。それ以外はフリーランスの方々に業務委託として関わっていただいています。その理由は、社内で無理に異動してきてもらうよりも、ビジョンに共感してくださるフリーランスの方々にお願いした方が、事業推進が加速すると考えたからです。
新規事業の場合、社内でチーム組成が完結しないことが往々にしてあります。その際、スキルよりもビジョンに共感していただけることが、より大切だと私は考えています。まずは「ハンターバンクって面白い」「一緒にやりたい」と強く思ってもらえる人を最優先すること。フリーランスの方々にはどうしてもスキルを求めてしまいがちですが、ビジョンに共感してくださる方のほうが本気になってサービスのことを考えてくれるのではないかと思っています。
加藤:ビジョンドリブンでチームをつくってきたわけですね。以前お話を伺ったときよりも、かなりメンバーが増えてきた印象を受けます。どのようにチームを大きくしていったのですか。
有田:最初は、すべての役割を1人で担当していました。しかし、狩猟の業界には特有の知識やスキルが必要なので、途中からサービス運営を担ってくださる外部のパートナー企業にジョインしてもらいました。
次いで入ってもらったのが、広報・PR担当者です。狩猟というニッチな領域で、私たちのサービスを潜在顧客へ確実に届けるには、いわゆる「攻めの広報」が必要です。新規事業の場合はとくに、取り上げてくれるメディアを自ら探したり、メディアの記者さんたちとどんどんつながったりする必要があり、工数もかかります。そういう方を、周りから紹介してもらいジョインしていただきました。
加藤:フリーランス、つまり外部の専門家に仕事を任せる際に、どのように仕事を振り分けたのですか。
有田:社員にしかできないことを絞り込み、それ以外の部分をフリーランスの方々にお任せすることにしました自治体など地域行政との交渉・連携が必要な業務は、私たち社員がしっかり行い、現地で行うサービス運営などはフリーランスの方々にお任せするようにしています。
3.まず1点集中型で成功モデルをつくり、行政の信頼を獲得する
加藤:ペーパーハンターの課題を解決する新規事業とのことですが、具体的にどのような方々をターゲットとしていますか。
有田:サブスクリプション会員のターゲット顧客としては、大きく2つの層を想定しています。まず、ペーパーハンターに代表される免許を持っていて実際に狩猟をやってみたいと思っている層です。そしてもう1つはなんとなく興味はあるけど免許を取ったり実際に狩猟をやったりするまでには至らない潜在層。
一方、獣害に困っている地域の方々や行政・農林業者などは、サービスを一緒に提供していくパートナー、ステークホルダーととらえています。
加藤:マッチングビジネスは、お互いのニーズがかみ合わなければ成立しません。とはいえ双方のニーズを完全に満たそうとすると、どちらにも刺さらない中途半端なソリューションになってしまうケースがよくあります。ハンターバンクは、ハンターと地域の方々、どちらに軸足を置いているのでしょう。
有田:私たちの場合は、会員になってくださるハンターの方々をメインに考えています。まずはハンターや狩猟に興味を持つ個人の方々にとってベストな仕組みをつくり、その上でパートナーになってくださる地域の方々にも協力をあおいでいます。
加藤:ターゲット顧客やパートナーの方々のニーズを満たすうえで、どのような課題がありますか。
有田:これから狩猟を始めたい方々と、すでにハンターとして活動されている方々の意識の乖離は大きな課題です。狩猟に興味を持っている若年層はあくまで趣味と考えていても、いざ猟友会の門を叩いてみると、かなり高い本気度を求められることもあります。もちろん、命を扱うわけですから真剣さは必要ですが、結果的にそれが新規参入の壁になってしまっているのです。
事業立ち上げの際は、ターゲット顧客のニーズを知るために私自身が狩猟免許を取りに行ったり、狩猟に興味がある方々に何度もヒアリングに行ったりしていました。当時は4分類だったペルソナも、シード期を超えたいまはさらに細分化しています。とはいえ、SNS広告を用いたマーケティング活動などを通じてPDCAを回し、どのようなペルソナがあり、どのようなニーズがあるのか日々試行錯誤しています。
加藤:ターゲット顧客のペルソナやニーズをどう定めていくのかでお悩みの方は多いので、いまのお話は非常に参考になるのではないでしょうか。一方でパートナーとなる行政や農林業者との関係構築も、重要ではないかと思います。アライアンスを持ちかける際のポイントを教えてください。
有田:まず、各市町村が作成している総合計画(会社でいう中期経営計画のようなもの)を、しっかり把握しておく必要があります。自治体は大きなビジョンのもとで動いているので、行政と連携する際は、ハンターバンクというソリューションが総合計画の中でどう貢献できるのかを示さなければなりません。また今回、行政には費用を求めないビジネスモデルを構築したことも良かったと思います。行政が新規事業に予算を振り分けるのは、私たち民間企業が思っている以上にハードルが高いですし、場合によっては議会を通す必要も出てきます。
加藤:行政にとって取り組みやすいモデルだったということですね。
有田:ええ。それから、小田原市で早期に成功事例をつくれたことも大きかったと思います。行政とアライアンスを組む際は、他地域で前例があるかどうかも重要なポイントです。
ハンターバンクの場合、小田原市という1つのパートナーとじっくり事業を進める「一点集中型」で取り組んできました。すると、他の自治体の方々が視察に来てくださるようになり、「一緒に組みたい」と問い合わせもいただくようになりました。
つい一気に複数の自治体とアライアンスを進めて、「○件の自治体で導入されました!」と実績数を追いかけたくなりますが、市町村レベルの基礎自治体については、最初にじっくりと大きな成功事例を1つつくる方が結果的に早いのではないかと考えています。
加藤:とはいえ会社からすると、もっと早くトップラインを伸ばすべきだという議論になる気がします。その点は、どうやって理解を得たのでしょうか。
有田:「小田原市で成功した場合、スピード感をもって横展開できる仕組みを考えています」と説明しました。具体的には、小田原市で培ったノウハウをフォーマット化するということです。フォーマット化できれば、フランチャイズのような形で、複数の自治体に一気に事業展開できるようになります。こうした大きなスケールが控えているのが、まさにこれからのフェーズです。
このやり方は、電鉄会社だから理解を得られたのかもしれません。鉄道事業や不動産事業の場合、事業計画や投資・回収を10年以上の単位で見ています。短期的に収益を出すことを求められなかったのも、奏功していると思います。
加藤:企業内新規事業の場合、短期的なPLを見られがちですが、長期的な目線で事業のスケールを見守ってもらえているわけですね。
4.既存イメージの転換を図り、唯一無二の体験価値を提供する
加藤:既存のサービスや競合とくらべて、どのような競争優位性があると考えていますか。
有田:各地にある猟師仲間の集まりや猟友会のような既存の組織など、すでにできあがったコミュニティにペーパーハンターや狩猟潜在層が入っていくのはハードルが高い。その点、ハンターバンクの会員は自らの意志で参加していますし、いつでもやめることができます。参加しないからといって非難されることもありません。このように、新規参入への障壁をできるだけ下げるようにしています。
そして釣りや登山など他の趣味と比べて、「野生動物を自ら捕まえて食す」という唯一無二の体験価値を提供できる点も、圧倒的な競争優位性だと考えています。
加藤:ハンター向けのサブスクサービスは他に類がないと思いますが、月額8,000円という金額設定については、どのように決めたのでしょうか。
有田:たしかに狩猟の分野で類似サービスはありませんが、別の趣味に目を移すと似たようなサービスはあります。私たちが参考にしたのは、同じ狩猟採集文化の体験サービスである「貸し農園」や「釣り船屋」です。たとえば「貸し農園」の場合どこも月額1万円くらいですが、そこには作物を育てる体験価値が上乗せされています。
私たちの場合も、基本的にはコストを積み上げて最低ラインを決めたうえで、どれくらいの体験サービスを提供できるかを考え、おおよその金額を決めました。あとは顧客の属性や生活像を正確に見極めつつ、余暇に使える金額についての統計調査も踏まえています。
加藤:最後に、マーケティングやセールスについて、どのように行っているのかお聞かせください。
有田:事業拡大の鍵は、狩猟の既存イメージを変えることです。登山や釣りは、以前はおじさんの趣味というイメージが強かったと思いますが、それがあるムーブメントをきっかけに若年層が積極的に楽しむようになり、イメージも変わっていきました。
たとえば釣りの領域では、最近は「釣りユーチューバー」が人気だったりします。それから、狩猟は田舎の趣味だと思われがちですが、実際は都会から車で1時間もいけば狩猟を楽しむことができます。ターゲット顧客のすそ野を広げ、誰でもできるということを強く押し出していくことがマーケティングのポイントになっていくと思います。
加藤:本日は、どうもありがとうございました。